岡崎城へ行ってきました
岡崎城へ行ってきました。
いまだにみほとせの最初、「天文11年 12月 三河」って石切丸さんに言われた時の
衝撃が忘れられない。
えっ?三河、知ってるの?
「三河」の発音、きれいだし。
三河とか、岡崎とか、全国の皆さん、知ってる???
いまだにびっくりしてるよ。
あとね、「岡崎」のイントネーション。
全国的には「お↓か↑ざ↓き↓」ですよね。
あれって、地元からは違和感感じるんですよ。
地元では「お↓か→ざ→き→」で、「か」は上がりません。
でも、蜻蛉切さんの「岡崎は我らにとって庭のようなもの」と言った時の発音は地元の発音。
さすがです。
全然違和感なさ過ぎて、全国区の発音とは違うことを、すっかり忘れてましたわ。
築城は15世紀前半頃、西郷頼嗣によるもの。
享禄4年に松平清康(家康の祖父)が改修し、
天文11年12月26日、徳川家康は岡崎城内で誕生しました。
明治6年ころ廃城となり、ほとんどの建物が取り壊されてしまいましたが、
昭和34年に、天守閣が復元されました。
今は、岡崎公園として整備されています。
一枚目とは反対側。
門から入って、見える岡崎城。
竹千代と家康のベンチがあります。
その名も出世ベンチ。
出世ベンチからすぐ後ろの石垣と廊下橋です。
水が入ってない空堀ですね。
石垣は取り壊しされず、そのまま残ったようですね。
今みても、すごいキレイに積まれてますよね。
岡崎は石の産地でもあり、石垣は岡崎産の花崗岩が使われてるそうです。
今でも石工団地があります。
話は全然変わりますが、岡崎の採石場が、第二東名を走ってると一瞬見えるのですが、
スゴイ景色です。
徳川家康公像。
本多平八郎忠勝公像。
徳川四天王のひとり。みほとせでは蜻蛉切さんが代わりを演じてますね。
手に持つ槍は、蜻蛉切だそうです。
東照公産湯の井戸
竹千代君誕生の際に使われた産湯だそうです。
井戸の水を汲み上げて、水に触れられるようになってます。
岡崎城の歴史です。
徳川家康の遺言です。
有名ですよね。
今回は時間が無かったので、天守閣の上まで行かず、周辺の散策だけです。
メインは他にあったので。